2008年02月25日

安史の乱

アンシノラン!?

安史の乱(あんしのらん)とは、756年から763年にかけて、唐の節度使・安禄山とその部下の史思明及びその子供達によって引き起こされた大規模な反乱。

安禄山は西域の出身で、貿易関係の業務で唐王朝に仕えて頭角を現し、宰相の李林甫に近付き、玄宗から信任され、さらに玄宗の寵妃・楊貴妃に取り入ることで、范陽をはじめとする北方の辺境地域(現在の北京周辺)の三つの節度使を兼任するにいたった。史思明は安禄山とは同郷で、同様に貿易関係の仕事で頭角を現し、安禄山の補佐役として彼に仕えるようになったといわれる。

李林甫の死後、安禄山は楊貴妃の従兄である楊国忠と対立し、その身に危険が迫ると、史思明等の進言を入れて、756年についに挙兵した。

当時、安禄山は唐の国軍の内のかなりの割合の兵力を玄宗から委ねられていた。さらに、唐の国軍の大部分は平和に慣れきっていたことから、全く役に立たず、安禄山率いる反乱軍は挙兵からわずか1ヶ月で、唐の副都というべき洛陽を陥落させた。

ここで安禄山は大燕聖武皇帝(聖武皇帝)を名乗り、さらに長安へと侵攻を開始。あっという間に唐の国軍を破り、玄宗は蜀(現在の四川省)に逃亡する。その途中の馬嵬で楊国忠は安禄山の挙兵を招いたとして玄宗に従い逃走する途中で息子の楊暄・楊昢・楊曉・楊晞兄弟と共に父子揃って兵士に殺害された。その挙句に、楊貴妃は兵士に楊国忠と同罪であるとしてその殺害が玄宗に対して要求され、やむなく玄宗の意を受けた高力士によって絞殺された。

失意の中、玄宗は退位した。皇太子の李亨が霊武で粛宗として即位し、反乱鎮圧の指揮を執ることとなる。
(以上、ウィキペディアより引用)

初めて聞いた乱です…。

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